星を食べる

穏やかな銀河の時代にも、流れ星は10分に一度、星空を駆け抜けるという。
この事実は人類に何を教えるのだろう。つまり世界は、10分に一度は願うことを許されているのだ。これは、なぐさめでも神話でもない。いうなれば、統計的事実というやつだ。
世界は、10分に一度は願うことを許されている。
その奇妙な依頼人が現れたのは、そんな、統計的事実の夜だった。
(鴻上尚史「ハッシャ・バイ」より)

月が印象的な物語は、今回も番外編で流れ星です。
奇妙な依頼人の登場により幕を開ける奇妙な物語、そして、その行き着く先は、といういつもの鴻上ワールドですが、それはさておいて。
最近トッピング用の星型シュガーが特売だったので買ってみたのですが、意味もなくゼリーやアイスクリームにかけるとこれが結構楽しいのです。やはり、スイーツは見た目が大切。味もですが。

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コーヒーゼリーに。

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コーヒーゼリーと牛乳ゼリーの二色ゼリー。

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コンビニのスイーツもたちまちオリジナルスイーツに。

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そして、夏はなんといっても、アイスです。

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シュガーと言っても、コーンスターチを固めて砂糖で味付けしたものなので、コーヒーなどに入れて甘くなるわけではありません。賞味期限までに使い切らなくては。
 
 

十二夜×5で六十夜

しばらく人形の記事を書いていませんが、一応作っています。ダビデ君で遊んでばかりいるわけではありません。

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あっ、こ・・・これは!
イケメンだから、馬が似合いますこと。

それはともかく、今作っている人形たちがシェイクスピアの戯曲をモチーフにしていることは以前書きましたが、あらためて読んでみました。

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今のところ、小津次郎氏、小田島雄志氏、河合祥一郎氏、安西徹雄氏、松岡和子氏、それぞれの訳による「十二夜」を読んだのですが、当然ながら訳す人によって違います。
もともとが古い英語で書かれているし、言葉遊びも多いので、どんなふうに日本語に置き換えるかはそれぞれの腕の見せ所、といったところでしょう。
戯曲なので、演出家や演じる人によっても違う作品になると思います。
あと、福田恒存氏の訳も出ているはずですし、やはり坪内逍遥さんも押さえておかないと。
新潮文庫のシェイクスピアは表紙の絵がかっこいいのですが、「十二夜」は出ていないようです。
シェイクスピアに混じってクリスティーがあるのは、「十二夜」に出てくる歌の中に「杉の柩」という言葉が出てくるからです。
ちなみに原題は「Sad Cypress(悲しき糸杉)」で、松岡和子氏の解説によると、糸杉は死と再生を意味しているそうです。
ついでにいうと、サイプレスはキプロスの語源になったとも言われていて、キプロスといえば、あのピグマリオンが治めていた島です。
 
 

さくらんぼのジャムを食べたくなる時

というわけで、「新カラマーゾフの兄弟」読みました。
結論から言うと、亀山郁夫氏はロシア文学者でドストエフスキー研究者ではあっても、小説家ではないなと。
もともと期待はしていなかったのですが、タイトルに「カラマーゾフ」とつけるのは卑怯ですよね。無視できないですもん。
ドストエフスキーが書かなかった13年後の物語なのかと思っていたら、舞台を日本に置き換えて、年齢だけは13年たった兄弟にドストエフスキーの書いた「カラマーゾフ」の中の行動をなぞらせて、いったい何がしたいのかわかりませんでした。
パロディでもないし、表題に「カラマーゾフ」と入れている以上、別物ではないし、それこそ剽窃になってしまいます。
唯一、すべてのカラマーゾフ・ファンが狂喜したのはさくらんぼのジャムがでてくるシーンでしょう。
名前の付け方も、以前やっていたドラマ版の方がセンスがあったような気がします。
ゾシマ長老に当たる人物の名が「嶋省三」というのだけは笑えましたが。
研究者たちによれば、ドストエフスキーは続編では皇帝暗殺にかかわっていく三男を描くはずだったということですが、「新カラ」ではずいぶんこじんまりとしたクーデターになっていて、ドストエフスキー作の「悪霊」を参考にしたとしても、なんだか狭い世界の中で話が進んでいくのがなんとも。
K氏とX先生のやりとりは、ああ、そうだったのか!とは思いましたが、この作品の中で書く必要があったのか。でも、それを言ったら、「Kの手記」をまるごと否定することになってしまいますね。(“X”は“エックス”ではなくロシア語の“ハー”と考えると誰のことかわかってきます)
時代設定を1995年にしたのは、当時起きた実際の事件と絡ませたかったようで、そうすることでもしかしたらドストエフスキーと肩を並べたかったのでしょうか。
ひょっとしたらだけど、亀山氏はドストエフスキーになりたかったのか、なんて思ってしまいました。
ネタバレになるので詳しく書くことは差し控えますが、ラストシーンを例の日にもってきたのは意図的というか、やり過ぎな気がしてしらけました。

さくらんぼのジャム、おいしくいただきました。
雰囲気を出すためにロシアで買ったお盆や食器を一緒に並べてみました。

さくらんぼのジャム

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月が印象的に描かれた物語・番外編

頭上には、静かな星をこぼれるばかりにちりばめた空の円天井が、見はるかすかなたまで広々と打ちひらけていた。天の頂から地平線にかけて、まだおぼろな銀河がふた筋に分かれて走っていた。動き一つないほど静かな、すがすがしい夜が大地を包み、教会の白い塔と金色の円屋根がサファイヤ色の空にきらめいていた。地上の静けさが空の静けさと融け合い、地上の神秘が星の神秘と触れ合っているかのようだった…
(ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」より)

過去に8回にわたって月が印象的に描かれた物語を紹介してきましたが、今回は番外編ということで、星空が印象的に描かれた物語としてドストエフスキーの代表作「カラマーゾフの兄弟」を取り上げてみました。訳は原卓也氏です。
ドストエフスキーと言えば、緻密な心理描写で知られていますが、主人公アリョーシャの人生の転機となるこの場面は泣きたくなるくらいに美しい情景が描かれています。
このあと、例の事件が起きて、イワンの元に悪魔が現れたりいろいろするわけですが、この星空の場面があることでよけいに対比が際立つ気がします。
そして13年後には…
それにしても、ドストエフスキーの手になる続編が読めないのはつくづく残念です。

夜景ではありませんが、白い塔と金色の円屋根というと、こんなイメージ。

白い巨塔

円屋根

いずれも2012年、モスクワにて撮影したもの。
なぜ急に「カラマーゾフ」かというと、「新カラマーゾフ」読んじゃったんですよね。
でも、さんらんぼのジャムを舐めたので元気です。

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饒舌な登場人物たち

図書館に予約しておいた本がわりと早く連絡が来ました。
本のタイトルは「もし、シェイクスピアがスター・ウォーズを書いたら まこと新たなる希望なり」

もしスタ

発売されたばかりだったので、数か月は待たされると覚悟していたのですが、もしかしてスター・ウォーズって人気ない?ってことはありませんよね。来週には新作の映画も公開されることですし。
ひょっとして、人気がないのはシェイクスピアの方だったりして。
それにしても、作者よりも翻訳者の方が大きく紹介されてるんですが、いいのかな、いいのかな。
内容はタイトル通り、シェイクスピアがスター・ウォーズを書いたらこうだっただろうというパロディで、オープニングの文字が前から奥の方に飛んでいくあの場面は宇宙空間でコロスが読み上げているというように変更されているのですが、それがちゃんとソネット形式。
他の登場人物たちもシェイクスピア張りの大仰な台詞を喋る喋る。R2D2までもが傍白はちゃんと普通に喋っているし。
ただ、あちこちにシェイクスピアの名場面、名台詞が散りばめられているので、スター・ウォーズのファンよりはシェイクスピアおたく向きかもしれません。
でも、台詞が時代がかっている上にスピード感がまったくない「スター・ウォーズ」、舞台でやってみようという勇者はいないものでしょうか。
翻訳した河合祥一郎氏はシェイクスピアの新訳でも知られる方で、前出の通り作者より目立っていることとか、他にもいろいろ突っ込みたいところがなくはないのですが、そこは目をつぶることにします。

パロディと言えば、戦国時代にヤフーの知恵袋があったら、みたいな本も予約しているのですが、そっちはかなり時間がかかりそうです。
ちなみにタイトルは、「〈至急〉塩を止められて困っています〈信玄〉」

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ドストエフスキーは角部屋がお好き

昨日、ドストエフスキーが住んでいた家のことを書いたのですが、ドストエフスキー記念館に行った時にフォトセットを買っていたのを思い出して、探してみたらやはり小モルスカヤ通りの角の家は「白夜」が執筆された家でした。
一説によると、ドストエフスキーは角部屋が好きだったらしく、確かに住んでいた家の写真を見ると、同じような角度で撮られたのが多いです。

ドストハウスたち

ちなみに、一番下が「カラマーゾフの兄弟」の書かれた家で、現在は記念館になっています。その右上が「罪と罰」の書かれた家。カバーは記念館からの眺めです。

ラスコーリニコフ絡みのフォトセットもあります。

ラスコハウス

下の写真の中央に写っているのがラスコーリニコフが住んでいたといわれる家で、左は中庭から入り口を見たところです。

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ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、最近までドクロを作っていまして、正確には道化師ヨリックの頭蓋骨なのですけれども、「頭蓋骨」と手書きで書こうとして、「ガイ」という字が書けなくて愕然としました。
「髑髏」という字は日常的に使う言葉ではないからと言い訳しつつ、カタカナですませられますが、「蓋」は「蓋然的」とか「綴じ蓋」みたいに日常茶飯事に使われるので、書けないと日本人として少し恥ずかしいのかも。でも、「頭骸骨」と書かなくて本当によかったです。

ところで、最近Amazonにおすすめされているのが、亀山郁夫著「新カラマーゾフの兄弟」なんですが、うーん、微妙。
書きたい気持ちもわからなくはありません。たしか、亀山先生は「カラマーゾフの続編を空想する」とかいう本も出してますね。カラマーゾフに関しては江川卓氏も「謎解き」シリーズを出してますし、そういえば、何年か前に乱歩賞を受賞した変な本もありました。だから、なおさら書きたくなったのでしょうか。
二次創作程度のものだったら、亀山先生ほどの人に書いて欲しくはないですが、当時のロシアをよく御存じでいらっしゃるし、考証もしっかりされているので、「カラマーゾフの妹」みたいな残念なことにはならないと信じていますけれど。
「カラマーゾフの兄弟」は中学の時に米川正夫氏訳を読んでハマり、その後、原卓也氏訳も読んでるので、どうしても比べてしまうのかもしれませんが、やはり一番読みにくかったのは亀山氏の新訳でした。
文章は易しいんですけどね、易しく書こうとするあまり、何が言いたいのか伝わらないというのが正直な感想。
でも、出版されてしばらくして落ち着いて、図書館で借りられるようになったら読んでみようとは思います、新カラ。

ドスト氏の家

サンクトペテルブルクにはドストエフスキーが住んでいた家がいくつもあって、右側の建物がその中の一つです。聖イサク寺院のそばにあります。

プレート

1847年から49年まで住んでいたということは、「白夜」はここで書かれたということでしょうか。そして、1949年にドストエフスキーは政治犯として逮捕されています。

ご近所の寺院

こちらが聖イサク寺院。エルミタージュ美術館もすぐ近くです。
実は、前回ペテルブルクに行った時にひそかにラスコーリニコフが住んでいたといわれる家を見に行きまして、たまたまそこの住人の方が帰ってきたので中庭に入れてもらいました。建物はドストエフスキーが生きていた時のままなのに、暗証番号式のドアロックがミスマッチで素敵でした。

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今宵はスーパームーン

お前の心はけざやかな景色のようだ、そこに
見なれぬ仮面して仮装舞踏のかえるさを、
歌いさざめいて人ら行くが
彼らの心とてさして陽気ではないらしい。
(ポール・ヴェルレーヌ「月の光」より)

過去に7回にわたって月が印象的に描かれた物語を紹介してきましたが、ブログのタイトルがベルガマスクというだけに、ヴェルレーヌを忘れるわけにはいきません。まあ、物語というのとは違うかもしれませんが。
ドビュッシーが「ベルガマスク組曲」を作曲したのはこの詩に触発されてとも言われています。
前にも書きましたが、「ベルガマスク」というのは、ベルガモの、とか、ベルガモ風というような意味合いで、ベルガモというのはイタリアの地名、ベルガモットの由来にもなっている土地です。
16世紀から18世紀にかけてヨーロッパで大流行した仮面劇コンメディア・デッラルテが誕生したのが、だいたいそのあたりです。
なので、ヴェルレーヌの詩の中では仮面の「マスク」にひっかけて「ベルガマスク」という言葉を使っています。
ブログのタイトルがベルガマスクなのでドビュッシーが好きなのかとか、ヴェルレーヌが好きなのかとか聞かれそうですが、答えはNOです。(なぜ、英語で答えるのだろう)
単に月とか仮面が好きなだけで、アリスを好きな人が全て「不思議の国のアリス」を読んでいるわけではないのと同じです。

忘れている人も多いと思いますが、というより、知っている人がいないのではないかと思うので、ここで今までのおさらい。
第1回目、野田秀樹「少年狩り」
第2回目、稲垣足穂「一千一秒物語~月のサーカス」
第3回目、カミュ「カリギュラ」
第4回目、チェスタートン「孔雀の家」The Poet and The Lunaticsより
第5回目、森雅裕「ベートーヴェンな憂鬱症」
第6回目、三島由紀夫「春の雪」
第7回目、シェイクスピヤ「ロミオとヂュリエット」
共通点があるようなないような。
第1回目に野田さんというのもあれですが、たまたまブログを描いた日が皆既月食の夜だったからだったと思います。
その日がたまたま春で雪が降っていたら三島由紀夫だったかもしれません。
その日にたまたま皇帝が暗殺されたらカリ…きりがありませんね。

今宵の月

今日の月。

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ハムレットってどんな人?

ハムレットを食らわば毒の塗られた剣まで、というわけで、またまた性懲りもなくハムレットです。
ハムレットの人となりについては専門で研究されている方々が多いことですし、演出家の先生や演じる役者さんによって解釈のしかたも様々なので、それらの方々にまるっとお任せすることにして、ここでは見た目について勝手な考察をしていきたいと思います。
ハムレットについてわかっていることというと、デンマークの王子様であるということ。それはつまり、ハムレットがデンマーク人であるということでだいたい合っていると思います。王族の中にはエジプト人の血をひかないエジプト女王クレオパトラやロシア人の血をひかないロシアの女帝エカテリーナ二世とか、どこの国の人なのかよくわからないハートの女王とかいますが、ここでは勝手にハムレットをデンマーク人と決めつけてしまいます。
デンマークではご存知のように移民を積極的に受け入れすぎた過去があって、まあいろいろあったわけで、ハムレットの時代というのがいつ頃なのかはよくわかりませんが、今よりは祖先のデーン人の血が濃かったのは間違いないと思います。現在でも北欧の金髪碧眼率は非常に高いわけですが(一説によると一位はフィンランド、二位にスウェーデンと続き、デンマークはエストニアに続いて5位らしいです)、当時はさらに金髪率が高かったはず。
デーン人というのはノルマン人のうち、デンマークに居住していた人々のことらしいですが、同じノルマン人の中でコロンブスより492年くらい早くアメリカ大陸を発見したことで有名なレイフさんのパパが赤毛であることは有名です。ということは、ハムレットも赤毛である可能性もなくはないのですが、レイフさんのパパのエーリクさんがわざわざ「赤毛の」と呼ばれているということは、赤毛というのは少数派と考えられるので、強引にハムレットは金髪碧眼だったと決めつけてしまいます。
さらに、デンマーク人の男子の平均身長は2013年の時点で179㎝、2001年には182㎝を超えていたらしいのですが、ここ数年伸び悩んでいるとか。いずれにしても、日本人の平均より高いのは間違いなさそうです。
民族的な見地は以上で、いよいよシェイクスピアの「ハムレット」の中からハムレットの外見についての記述を拾っていきたいと思います。
ここでは当たり障りのない福田恒存さんの訳を主に使わせていただきます。
いきなり、衝撃的なあのセリフから行っちゃいます。

第五幕第二場
あの子は汗かきで、すぐ息切れがするたちだから。

ハムレットの母にして王妃であるガートルードのこの台詞は原文では、He’s fat and scant of breath.逍遥さんの訳では「肥り肉(ふとりじし)ゆゑ息が切れう。」となっています。
そう、「fat」とは、おデブという意味で、あの河合祥一郎氏などは、「ハムレットは太っていた!」というタイトルで本を一冊書き上げてしまいました。
ちなみに、河合氏はシェイクスピアが書いたとされるスター・ウォーズ「まこと新たな希望なり」の翻訳も手がけていらっしゃいます。
本題に戻ります。この、ハムレットがデブかどうなのかという問題は多くの物議をかもしていて、fat=汗かき説がでてきてからは、万事解決とばかりに汗かき説に群がり始めた感があります。わからないでもないです。ハムレットがデブなんて、そんなのいやっ!という人が多かったのでしょう。
だったらどうして「fat」という言葉を使ったんだということになりますよね。
河合氏の肩を持つつもりではありませんが、やはりハムレットはおデブだったのではないかと思います。ハムレットが、というより、シェイクスピアが書いた当時、ハムレットを演じた役者さんが、ということですけれど。
当時、貧しい人は本当に貧しくて、太っていることが富の象徴だったということは考えられます。なので、主役クラスの俳優さんだと、それなりに地位も人気もあって。というわけで、太っていたというのがどの程度をあらわしていたのかはわかりませんが、演者に合わせて台本を書いたとすれば、ハムレットの年齢設定が30歳ということも頷けます。
ポローニアスの台詞にジュリアス・シーザーを演じたとあるように、シェイクスピアが内輪ネタをぶちこんでくるのは座付き作家としては当たり前のこと。
でも、当時としては太っているのがカッコよかったのかもしれませんが、美男美女の解釈は時代や社会情勢によっても変わるもの、今だったら、デブでハゲのハムレットが出てきて苦悩していたらコメディにしかなりません。
第三幕第一場のオフィーリアの台詞にも「王子様にふさわしい秀でた眉、学者もおよばぬ深い御教養、武人も恐れをなす鮮やかな剣さばき。この国の運命をにない、一国の精華とあがめられ、流行の鏡、礼儀の手本、あらゆる人の賛美の的だったハムレット様」とあるので、恋する女性の贔屓目もあるでしょうけれど、その時代に合ったイケメンであるということに無理やり決めつけてしまいましょう。

第一幕第二場
ハムレット、その暗い喪服を脱ぎすてて、デンマーク王に親愛の眼なざしを、なぜさしむけてはくれぬ。

この王妃の台詞からもわかるように、少なくともその場面まではハムレットは暗い喪服に身を包んでいたことになります。

第二幕第一場
帽子もかぶらず、汚れた靴下はだらしなく垂れさがったまま、紙のように青ざめたお顔で、今のいま地獄から抜け出してこられたかのよう(以下略)。

この時のハムレットの様子はオフィーリアの口から語られるだけなので、舞台には登場しませんが、トム・ストッパードの「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」の中には、オフィーリアの台詞の通りのハムレットがオフィーリアの台詞通りに振る舞うのをロズギルの二人が垣間見るシーンがあります。ロズギルが主役だから面白いのですが、ハムレット主役の映画の中でやるのは蛇足に思えます。
「帽子もかぶらず」というからには、普段は帽子をかぶっているのには違いないのですが、舞台でも映画でも、帽子をかぶったハムレットはあまり見かけません。この時点からハムレットは帽子をかぶることをやめてしまったのでしょうか。
城内だから帽子をかぶらないのではないかと思うかもしれませんが、第五幕第二場で登場するオズリックに対しては、「帽子はあるべきところに置いておいたらどうだ。それは頭にのせるものだろう」と言っているので、城内だから帽子をかぶってはいけないということもないようです。

そういうわけで、有無も言わさず決めつける「ハムレットはこんな人」、まとめると、ハムレットはヴァイキングの流れを汲むデンマークの王子様で金髪碧眼、少なくとも一幕二場までは暗い喪服に身を包み、二幕一場あたりで帽子をかぶっていないことを指摘されるので、たぶん普段は帽子をかぶっているらしい。長身で、客観的に見てイケメン。
もちろん、このハムレット像には自分の希望が含まれていることは言うまでもありません。

γモノ

敢えて金髪でも碧眼でもないハムレット。
自分で作っておいてなんですが、どこかで見たような、と思っていたら、小学生の時に読んだ少年少女向けシェイクスピア物語の「ベニスの商人」の中のポーシャ(男装)の挿絵がこんな風でした。
あの本、どこに行ったのでしょうね。

γ1
 
 

人形劇は、まだ続いている。

最近読んだ本の最後の一文です。
読んでいて思いだしたのですが、そういえば物心ついたころに漠然と疑問に思っていたことが扱われていて、なるほどそういうことなのかと理解したつもりでいたらどんでん返しを食らいました。
それが心地悪いわけでもなくて。癖になるかも。
そういうわけで、人形遊びはまだまだ続きます。

赤目姫の潮解

ちなみに、この「赤目姫の潮解」は百年シリーズだと思って読んでいたら、違うような気もしてきたのですが、読み終わったらやはり百年シリーズでした。というか、目次で気づくべきでした。
ところで、同じ作者の人気シリーズが最近までドラマ化されていたのですが、どうにも理系ミステリーという言い方が違和感があります。
私の周りは全てが理系ではないので、よくわからないのですが、理系ミステリーってコンピューターを操作していたら、「なんじゃこりゃ!」みたいなことが起きたり、化学反応の実権をしていたら、「ええっ、なんで!?」みたいなことが起きることではないのでしょうか。
人間が起こす事件や人間に起きる事件だったら、ただのミステリーじゃん、と思ってしまった年の暮れ。
来年もまたよろしくお願い致します。

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